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意見を発信する事 受け取る側の自己責任
自分の意見を思った時に思ったままに発信出来ているでしょうか?
現代社会ではその信条を持つ人は違わず「空気を読まない」と言われたりしますが、
空気を人一倍読めるが故に「空気を読んではいけない」と考えているのではないかと思ったりもします。
自分の意見を歯に衣着せぬままに言えば、見事に干されたり厳しい境遇に立たされたりします。勿論それを承知の上でやっているのでしょうから、自分自身の信念を保つ上での必要コストとも言えます。
僕もなるべく思った事はストレートに意見論評するようには心掛けています。
だけれども、無用な誤解や衝突は逆効果だと思う節もあり、加減は測っているつもりです。
もちろん、自分の言っている事が全て正しいとも思っていないし、大事なのは受け取り手が自分の頭で考えて情報を取捨選択して自分の考えにしていく事です。議論とはどちらかの意見にすることではなく、「お前はこう思うが俺はこう思う」と尊重し合える事だと思うのです。
何が言いたいかと言いますと自分の頭で考えましょう。それだけです。他人は良い事もたくさん言うかもしれませんが、あなたの心地良い事ばかりは言わないし、時には耳の痛い事も言うでしょう。多様性と言いますが、多様性とは心地良いものではありません。自分の意見も否定はされないが、自分とは違う意見が転がっている面倒で不快なものが多様性です。多用な社会を生き抜くには受け取り手の腕が問われてきます。詰まる話は「確固たる自分」を持つことに尽きるし、そのためにも日々目の前にあることをやっていくしかないのです。
それでは持ち場で頑張りましょう。